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未知倶楽部コラム

近くのパン屋

2007年07月02日


私の住んでいるところは東京のなかでも非常に古い街である。

東京はご存知の通り、明治以降に今でいう下町と山の手地区を中心として鉄道の路線が周辺に広がり、戦後はとりわけ西の方に大きく膨れ上がったことにより、今のメガロポリスを形成している。江戸末期嘉永年間の地図を見ると、我が家は徳川家ご家老の敷地内の一角(小さな点)にあり、近くは広大な薩摩藩邸が広がっている。荻生徂徠の墓、最初のフランス公使邸跡はじめ、歴史的な場所が多い。かつての武家の町らしく今でも近辺には古いお寺が多い。

私がこの街に住むようになってから早10年である。その時から少しずつこの地区にマンションが建設されるようなったが、当時はまだまだ昔から住んでいる人たちの家や古いビルが大勢を占めていた。ところが5年前に新しく地下鉄が開通したために陸の孤島が都内各所のみならず埼玉、神奈川のあらゆるところと接点を持つようになり、急激に町の風景が変ってしまった。古い民家、ビルは取り壊されマンションに、某会社のビルもある日突然姿を消して新たなマンションに。建つのはマンションばかり。不思議なもので新しいマンションが建つと、その前に何が建っていたのか思い出すことが出来ない。昔からの住民の家も住民の人気(ひとけ)も跡形も無く消え去ると言うのはこういうことであり、何とも言えないはかなさを感じる。

さて、前段が少々長くなったが、本日ご紹介するのは近くのパン屋の話である。正確に言うと、近くにあったパン屋の話である。

私がこの町に住み始めたばかりの時、当然ながらこの地区に何があるかは良く知らなかった。もっとも大手スーパーとかコンビニ程度はどこにである代物なので行くまでもなくわかるが、ここに昔から住んでいる人たちがこよなく愛している馴染みの店を知るには時間が掛かる。しかし、人間とは不思議なもので、時間が経つと自然に少しずつ色々なことが分かりだす。どこの中華料理屋が美味しいとか、著名人がお忍びで訪れているフレンチレストランはどこかだとか。大抵の場合、食べ物絡みの情報の方が一番最初に耳に入ってくる。

ある日家内が、知り合いになったばかりの額縁屋のおばさんから我が家の直ぐ近くに昔から有名なパン屋がある、という話を耳にした。その額縁屋から我が家までは結構な距離なのだが、聞くところによると、既に成人となった彼女の娘が小さい時にわざわざ自転車に乗って買いに来たほど美味しいパン屋だそうだ。場所は交通量が多い表通りではなく、路地裏の昔からある一軒家が連なっている辺りとのこと。

この情報を頼りに私は何度か家の近辺を歩いてみたが、それらしきパン屋は見つからない。恐らく潰れたのだろうと思い、その存在すら忘れていた時に、そのおばさんからの別の情報に接する。

このパン屋は朝6時に開店して10時には店じまいをするとのこと。

表通りならば通勤時に毎日通るからこの時間帯でも目に入るが、路地裏では無理である。まして休日だと朝早く目的もなく路地裏散策をする確率は少ないので見つけられなかったのは無理もない話である。

さて、この大切な情報を元に再度挑戦してみた。朝7時に起きて当たりをつけて歩いてみた。だがなかなか見つからない。諦めかけていた時、ふとある小さな家の前に長い行列が出来ているのを発見した。近づいて見ると古い木造の家。入り口はガラス扉。あのギーっと開け閉めする扉である。昔のお店である。ショーケースには小さい時に良く食べたチョココロネ、ジャムパン、クリームパン、アンパン。それにコッペパン。そのコッペパンを切り開いて作ったコロッケパン、カツパン、サラダパン、ウィンナーパンが並んでいる。面白いことに目立った看板はない。店じまいとともに姿を消す店なので見つけらなかったのは当たり前である。

店のなかを覗いてみると、年の頃70歳は越えた背の高い体格の良い親父さんと小柄な丸みを帯びたおばさん二人で懸命にお客さんに応対している。10人ほど並んでいるが折角だから列の後に並ぶこととした。陳列されているパンのストックでは注文に追いつかない模様である。注文を聞きながらその場でコッペパンを手に取り、バターを塗り、刻みキャベツをはさみ、そして最後にコロッケなりカツなりをコッペパンに押し込み出来上がる。コロッケパンを注文する人が多いようだ。お年の割には手際が良い。なかなか自分の番が回って来ない。10個単位で買う客もいるので回転は遅いのである。 15分は待っただろうか。色々試してみようと代表的なパンを一個ずつ買ってみた。

早速、これらのパンを家族で味わってみた。正に日本人のDNAに組み込まれている懐かしい味である。やわらかなコッペパン。少々かりかりしたコロッケ。刻みキャベツと特製のソース。そこに少々マスタードが付いている。サラダパンとはポテトサラダのことである。昔の家庭では良くポテトサラダを食べたものである。味はあっさり。つまりマヨネーズは少なめ。クリームパンも最近人気のとろっとしたクリームではなく、あのゼラチン質の固めのものである。紹介して頂いた額縁屋のおばさんの娘が子供の頃にわざわざ自転車を漕いで買いに来ていた理由が頷ける。

それからである。我が家ではこのパン屋のパンが病みつきになった。土曜日の朝7時前には私が買いに行くと言うことが暗黙の約束事となった。

店は忙しいので、店でその親父と注文と会計以外について言葉を交わす機会はないが、町内会では相当の重鎮らしく、祭りの時にははっぴ姿で腕を組んでいる勇ましい姿を見かけることがあった。奥様はとても腰の低い方で、通りすがりに出会うと、必ず会釈をしてくれた。

その後である、この老夫婦には息子がいるがパン屋は継がないとか言って大分前からサラリーマンをやっているとか、TVで紹介されたとか、パンとは関係のない話題も耳に入って来るようになった。新住民の好奇の的であることの証明である。

私はどんなに暑い日でも、寒い日でも特段の理由がない限りは毎週土曜日の早朝この店に並んだ。ゆっくりと朝食が味わえる土曜日の朝に香ばしいコーヒーとこの懐かしいパンを食べることが習慣となっていた。

4年前の出来事である。冷たい風が吹きはじめた頃である。

この親父は亡くなった。

その噂は直ぐ耳に入った。店に近づいて真偽を確かめるまでもない。遠目でこの小さな店の前に行列が無くなったことにより確認が出来た。

今でも時々あの味を思い出すことがある。誇らしげに腕を組んでいるはっぴ姿の親父を思い出すことがある。

‘かけがえのない=Irreplaceable’とは、失ったら取り替えることが出来ないという意味である。

古い町のこの小さなパン屋の親父は正にこの言葉に値する優れた職人だった。
執筆者

未知倶楽部室 室長 賦勺尚樹

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