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未知倶楽部コラム

近くの靴屋

2006年5月16日

私の家の近くに小さな靴屋がある。

普通の靴屋とはかなり異なる。通りに面したショーウィンドウには女性用の靴が陳列されているのだが、店舗内は天井近くまでうず高く詰まれた靴箱でいっぱい。通行人の視野を妨げること甚だしく、大抵の人は卸問屋かと勘違いするだろう。

ある日、家内が一枚のPOP広告に目を付けた。

「幸せなシンデレラは貴女です!」

この店に一足しか残っておらず将来は確実に不良在庫、というブーツを、どうにか処分しようとしたのだろう。靴箱に占領された狭苦しいスペースを少しでも風通し良くするために、苦し紛れにこんなPOPを付けたに違いない。

家内はちょうどこの頃、ブーツを欲しいと思い色々な百貨店を回っていた。しかし条件が合わなかったために(どれも高すぎた・・・)、諦めかけていた矢先。おりしも家内の目にこのPOPが飛び込んで来たわけだ。

彼女は勇気を振り絞って店内に入った。そこには老店主が一人、家内がくだんのブーツを手に取っておそるおそる尋ねたところ、何とそれは、誰もが知っている超一流ブランドの製品。しかも値段も定価の半値以下で構わないという。

はやる気持ちを押さえつつ、彼女はブーツに足を入れてみた。靴底、つま先、くるぶし、かかと、更にふくらはぎまでピッタンコ。

この瞬間、家内は老店主のシンデレラとなったのだ。当然その場で購入。

家内は大満足。とはいえ、自分だけ靴を買ってしまったことには罪悪感もあったようだ。「陳列されていないけれど男性用の靴も売っているみたい。探してきたら?」と誘われた。

それから、家内の夫である私と、この老店主との、ささやかな付き合いが始まった。

もともと私は「自分に合った靴」というものを履いたことがなかったし、靴とはそういうものだと諦めていた。足の長さはは24.5センチ。男のなかでは小さい方である。ところが足の幅は広い。薩摩の血を半分引くためなのだろうか。幅だけは26センチの靴にフィットする。これでは、標準規格の靴が私に合うはずがない。

ところが、この悩みを老店主に打ち明けたところ、「みんな、自分のサイズに本当に合った靴を履いていない。それは売る靴屋のほうが悪いのである」。自分の足を呪ってた私に救いの言葉。

この一言で、彼との距離は近くなり、会話は深まった。

店主の話を聞くと、ここに店を開いて200年以上。徳川時代この辺りに屋敷を構えていた松平家に履物を納めていたという、何ともやんごとないお方だった。

彼は私の足を分析しだした。「親指のこの辺りがいつも痛いでしょう。それは今履いている靴のここの構造が悪いからで、本来はこうあるべきだから・・・」と事細かに論じ始めた。何しろ物置のような靴屋である。腰掛けられるスペースなどない。話が勢いづいてきた頃、近所の喫茶店に電話を架け出した。どうやらコーヒーを注文している様子。私を眠らせまいとする気遣いなのか。さらに夢中に話し続けること10分。やっとコーヒーが届いた。器からして高そうだ。飲み終えてすぐに帰るのはさすがに失礼か。せめてあと5分くらいは話に付き合わなければ・・・。結局、店から出ることができたのは訪れてから1時間半後のことだった。

後日電話があった。「お客様にピッタリの靴が見つかりました。是非試し履きに来てください。」

かくして私は、軽くて、柔らかくて、そして自分の足にピッタリ合った靴と生来初めて巡りあうこととなった。カンガルーの革でできているらしい。

これ以来、私が靴を欲しいときは電話一本だ。「カジュアルで色はブラウン」といった具合に。店主が用意してくれる靴は、どれも問題なく私の足にフィットする。何よりも助かるのは百貨店巡りをしなくて済むようになったこと。足に合わない靴を探すための絶望的な百貨店巡りはもう勘弁願いたい。

この店主、「わざわざ京都から買いに来る高級料亭の女将がいる」と言う。まんざら嘘とも思えない。

近所ゆえ、ときどきはこの店の前を通る。長い会話に付き合わされては困るので、店主と目が合わないように通り過ぎる。しかし私は確実に、この老店主無しでは生きられなくなっている。私のためにどうか長生きしてもらいたいものだ。

執筆者

未知倶楽部室 室長 賦勺尚樹

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