「風の丘」のウッドデッキからの 遠野市街の眺め
「遠野風の丘」支配人の吉田喜市さんは、道の駅に地域の情報を集約しようと構想した立役者だ。手作り、ということを吉田さんは強調する。駅内に設置された案内所には、壁一面に手作りのポスターが掲示されている。遠野の個人商店の情報や、小さなイベントの案内など、記載されている内容はいずれも地味ながら、どの1枚を取っても作り手の想いが伝わる温かみに溢れている。「こうしたアイディアが少しでも地域の活性化に役立てば」という吉田さんの考えは確かな手ごたえで結実し、いまや「遠野風の丘」は地域の人たちと来訪者とが心を通わせあえる、貴重な場を提供するに至っている。
六角牛山のふもとに広がる遠野のまちを一望することのできる小高い丘の上に、この「遠野風の丘」はたたずんでいる。この街のすべての魅力を凝縮したこの駅ならではの立地といえる。道の駅のシンボルでもある風車は、北上山地からの吹き降ろしの風を受けて勢いよく回り続けている。この風車は単なる飾り物ではなく、風力発電装置を備えた“本物”だ。
もともと当地の農協に勤務し、「園芸や加工事業などの営農指導に従事していた」という吉田さん。小柄ながらもがっしりした体の持ち主である。そんな根っからの農業技術者だった吉田さんが「遠野風の丘」の支配人に就任したのが平成10年のことだった。それ以来、地域を知り尽くした男として八面六臂の活動が始まった。遠野の特産品である農水産物やその加工品を広く紹介する売場づくりに勤める“商売人”としての顔。遠野地域の魅力を来訪者にきめ細かく情報発信する“ふるさと営業マン”としての顔。そして、道の駅を拠点とした人的な交流のしくみづくりに取り組む“地域コーディネイター”としての顔。いずれをとっても、吉田さんの透徹した哲学はひとつ、「地域の活性化のため」という思いだ。
「風の丘」の案内所。左端が吉田さん。
手作りポスターは、吉田さんのヒットアイディアの最たる例。遠野には地域への愛情に溢れた人がたくさんいて、それぞれの人が地域のためにいろいろな活動に取り組んでいる。「私も自宅の庭に竪穴式住居を再現しておりまして・・・」と、いつもにこやかな吉田さんが少しはにかんだように言われた。自宅の庭の“竪穴式住居”を開放し、ボランティアで手作りの体験ツアーを企画・運営しているというあたり、吉田さんの地域に対する想いは本物である。こうした活動を多くの人に知ってほしい、多くの人に参加してほしい、多くの人に遠野の魅力を伝えたい。そんな思いが、手作りポスターで埋め尽くされた案内所を生みだすきっかけになった。遠野の魅力に触れたい旅人は、まず「遠野風の丘」に立ち寄りさえすればよい。たくさんの手作りポスターを眺めるだけでも、遠野の人たちが自らの街をより魅力的にするために、いかに真率に取り組んでいるかが分かる。気に入ったものがあれば、ポスターをもらって遠野の市街地に向かえばよい。もっと詳しく知りたければ、案内所の女性スタッフに気軽に声を掛けることができる。懇切にいろいろな情報を提供してくれるはずだ。
「このあたりでは暮坪かぶと呼んでいます」と言って、吉田さんが変わった野菜を見せてくれた。小ぶりの大根のような野菜である。「もともとは京野菜だったらしいのですが、本家の方ではもうなくなってしまい、今は遠野の暮坪というところを中心に細々と栽培しています」と説明された。繊維質の多いかぶで、すりおろして空気に触れさせると鮮烈な辛味が際立つ。「遠野風の丘」の食堂で供される自家栽培そばのメニューには欠かせない薬味だ。もちろん漬物にしても旨い。生鮮品も漬物も駅内の売店で手に入れることができる。
「かっぱ淵」の様子。冷たい澄んだ水が流れる。
遠野といえば民話の里として、とりわけ河童の伝説が、つとに全国に知られている。今では河童は遠野を代表するイメージキャラクターだ。「市内に“河童釣り”をする名物おじさんに会える場所がありますよ」と吉田さんが教えてくれた場所は、常堅寺という古刹の裏手、その名も「かっぱ淵」。今では水辺も整備され、周りの藪も切り払われたことから、ずいぶんと明るい場所になっているが、かつては「河童がでてもおかしくない」鬱蒼とした場所だったらしい。「今日は、河童釣りに来てないなあ」と吉田さんは残念そうに言われたが、この日、名物おじさんは河童釣りではなく、稲刈りに行かれてしまったようである。「かっぱ淵」の周り一面には、黄金色の稲穂が波打ち、ところどころ刈り取られた稲の束が干されていた。すれ違って去っていく子どもたちは元気な挨拶を交わしてくれる。昔、当たり前だった光景が、ここには至るところに残っている。
「とおの昔話村」の「語り部」菊池さん。
時の流れとともに、気づかないうちに多くのものが変わってしまう今日、どこかに「変わらないこと」が存在することは、なぜか心安らぐ気がするものである。遠野を訪れた旅人が、この土地に懐かしさや郷愁とともに安らぎを感じることができるのは、遠野の自然、そこで営まれる人々のくらしやことばといったものが「変わらないこと」として大切にされていることにあるのかもしれない。だが、「変わらないこと」を見定め、それを守っていくことは決して容易なことではない。遠野では、「語り部」たちを中心に、昔から地域に伝わる民話、そして民話を介してそこに息づいている方言という無形の文化財を次世代に引き継ごうと取り組んでいる。「とおの昔話村」の囲炉裏端で、独特の抑揚を持つ遠野方言で語られる民話を聞いていると、誰しも遠い昔、祖母や母から昔話を聞いて過ごしたことを思い出すに違いない。