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未知倶楽部コラム

大隅、日南を行く(その1)

2006年5月10日

4月末、初夏を思わせる日差しの下、私は約30年ぶりに鹿児島の土を踏んだ。鹿児島は私の小学生時代、3年間を過ごした土地であり、第2の故郷ともいうべき土地である。このため、このコラムもやや感傷的になっていることを予めお詫びしておく。

鹿児島空港から車で鹿児島市街に入り、フェリーに乗って桜島に渡る。鹿児島市街は大きく変わったが、錦江湾に浮かぶ桜島の姿は子どもの時分見たものと少しも変わっていない(大噴火もなかったので当然の話だが)。
当時、火山灰を被った小さな「桜島小みかん」の凝縮されたような甘さと香りに驚いたものだが、あいにく今は収穫の季節ではないらしい。道の駅「桜島」では桜島小みかんの加工品が売られていたほか、レストランでは桜島小みかんを練りこんだうどんが供されていた。麺だけを啜るとほのかに柑橘系の香りがした。

道の駅垂水の足湯。この日も多くの人で賑わっていた。 道の駅「垂水」はオープンして約1年という新しい道の駅だが、特産のビワや足湯を求める客でおおいに賑わっている。名物のビワソフトを片手に、足湯に浸かりながら眺める桜島はまた格別である。「鹿児島市から見る桜島とは違って、こちらもいいでしょう」と施設管理責任者の立和田さんは言われたが、逆光の中に黒々と聳える桜島というのは迫力がある。立和田さんはビワをはじめとする地域産品の販売のほか、地域情報の発信にも力をいれていきたいと語られた。

太平洋に面する志布志の海岸近くには、道の駅「くにの松原おおさき」がある。温泉のある宿泊施設を持つ道の駅は珍しい。近隣には全国でも一、二を争うほどの品質を誇る「ちりめんじゃこ」の漁港や加工場、アップルマンゴーの農家、芋焼酎の蔵元などがあり、夏場には子どもに人気のカブトムシの相撲大会も行われる。
夜、鱧などの地魚と黒豚を肴に道の駅オリジナルの芋焼酎を飲みながら、道の駅の樫本支配人とお話しさせていただく機会をいただいた。樫本さんは県外のご出身だが、「このあたりほど人情が良くて住みやすいところはない」といわれる。地域の産品についても、あるいは地元の人よりも詳しいのではないかとも思えるほどに博識で、地域に対する深い愛情を持っておられるように感じた。

翌日早朝、小雨のそぼ降る中を北上し、道の駅「松山」に向かった。緩やかに起伏が続く道を走ると、小高い丘の頂きに大きな兜の前立てを模した道の駅がある。
道の駅の原田支配人は「松山は『やっちく』の里といわれるように、野菜と畜産物に力を入れて地域の活性化を図っています。」といわれる。ありふれた日常の田園風景や地元の方々との交流こそが今日では集客交流につながる資源であることに触れると、原田さんは頷いて、「地域の人は地域の本当の良さをもっとアピールしていかなければなりませんね。」と言われた。

道の駅から見た岩川の町並。30年前とほとんど変わらない眺め 松山を後に、いよいよ私が3年間を過ごした岩川の道の駅、「おおすみ弥五郎伝説の里」に向かう。松山あたりも昔とあまり変わらない感じがしたのだが、岩川もあまり変わっていなかった。30年前、当時すでに築30年以上は経っていたであろう借家はさすがに畑になっていたが、近所の狭い道幅や竹藪、苔むしたブロック塀、小学校の校舎、裏山の八幡神社もそのままだった。旅のテーマとして「自分探し」という言葉があるが、なにやら私の場合、30年前、このあたりを走り回っていた子どもの自分にばったり角で出くわしそうな、過去の自分との遭遇を味わうような旅になった。年配の方々のふるさとを巡る旅の気分というのはこうしたものなのかも知れない。
道の駅の弥五郎どんの巨大像。町のランドマークになっている。 昔、近所の遊び友達と登った丘そのものが道の駅になり、丘の頂上にはランドマークとなる「弥五郎どん」の巨大な像が立っていた。道の駅の上杉店長は私と同年代であり、産品を通じた地域の活性化に取り組んでおられる。「鹿児島の旅行会社に岩川も回るツアーを作ってもらうようお願いしたんですが、あそこには何も観光資源がないと言って断られました」と上杉さんはいくぶん寂しそうに言われたが、岩川のような地域こそ道の駅を活用した集客交流事業が必要なのではないか。
道の駅で食べた黒豚、「やごろう豚」のトンカツは素晴らしく美味であった。黒豚料理を食べに岩川を訪れても損はしないだろう。私の父親は岩川醸造の「岩の泉」ばかり飲んでいた記憶があるが、当時の父親の年齢を超えてしまった私は同じ岩川醸造の「薩摩邑」を日ごろ愛飲している。こうした地元の芋焼酎も当然、道の駅で売られているが、県外にあまり流通していない焼酎を探すのも道の駅めぐりの醍醐味であろう。

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執筆者

未知倶楽部 志水武史

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