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未知倶楽部コラム

『過ごし場としての道の駅』

2009年03月06日

米国発の経済不況の煽りを受けて日本の経済も大きな打撃を受けております。とりわけ都市部での消費は低迷しデパート、スーパーでの売り上げは激減しております。それに政治への不信、将来への不安が加わり、一層消費者の財布の紐を固くしております。

それでは地域にある道の駅はどうかです。

2月中旬から末にかけて、未知倶楽部ウェブサイトに掲載して下さっている道の駅の皆様に対してアンケート調査を実施致しました。59の道の駅からご回答を頂戴しましたので有効回答率は21%となります。お尋ねした内容は12月、1月の売り上げ、集客の前年同月比とその原因と対策です。

その結果に付きましては「前年比アンケート結果報告(2009年2月実施) 」にてご報告をしておりますのでご一読お願いします。

アンケート実施前には都市部の消費動向と同じく殆どの道の駅は大幅に数字を落としているのではないかと心配していたのですが、約半数の道の駅では売り上げ、集客アップとかなり健闘している結果となっております。

道の駅の皆様から頂いた原因と対策を基にした分析結果は「前年比アンケート結果報告(2009年2月実施)」でご紹介しておりますので、ここではどうしてこういう結果が導かれたかを、勝手ながら私が消費者の心を覗き見、仮説を作ってみました。従い、本文を書くに当たって、道の駅を利用されるお客様へのアンケート等は実施しておらず、統計的な根拠は無いことを予めご了解願います。

先ず、都市部の消費者が生産現場に近いところにアプローチをしている動きがあります。以前から道の駅は地域の生産者が栽培した新鮮な青果物を安く手に入れることが出来る、いわゆる直売所機能が大きな‘売り’です。都市部生活者の食の安全・安心志向が加速し、既存の流通形態を経た商品に対する信頼が揺らぎ、生産現場に近い地域へ直接足を運ぶ動きに弾みがついているのだと思います。

しかしながら、どうもそれだけではない他の動きもあるのではないかと感じております。

それはおそらく、『わざわざ』遠い生産地にまで出掛けて大根なり野菜を買う喜びがあるのではないかという点です。都会で幾らでも手に入る大根を『わざわざ』道の駅に出向いて購買するという非効率性を求める姿のことです。

ガソリン代が安くなったとはいえ、それはコストです。少なくとも我々ビジネスの世界ではそれを送料、つまり商品を手に入れるコストとして捉えます。一方、道の駅まで『わざわざ』出掛けて購買する人たちはそれを必ずしもコストとして算入しない人たちなのだと思います。

何故コストとして算入をしないか。

その理由は、地域へ行く目的(の全て)が野菜を購入するためではないからです。

一方で野菜という商品(Commodity)です。野菜を単なる商品(Commodity)として見た場合とも置き換えることが出来ます。もし都会のスーパーで大根が売れ残った場合、スーパー側からすると輸送費を含めた商品仕入れ代、陳列の場所代、場所に付帯する光熱費、販売に携わる店員へ給与、宣伝広告費等は全て無駄なコストになり、損失となります。当たり前ですがCommodityは換金されなければ価値が生じません。つまり、都会型のマーケットでは上述コストに利潤を上乗せした価格(Price)によって表された価値が商品(Commodity)であり、その価値が本物になる(=実現する)ためには消費者によって購買される行為、つまり換金されるというプロセスが必要です。

さて、ここで更にじっくりと、道の駅を訪れる消費者を見つめてみます。

彼らは商品(Commodity)を購買することを目的としていないにも関わらず、確実に商品(Commodity)を購買するのです。それは今まで我々、少なくとも都会の市場で売り買いする人(=Marketer)が信じてきた、『先ずCommodityがありき。 このCommodityを軸(目的として)に安さ、品質を求めて消費者が購買をするものだ』という世界とは明らかに異質なものです。

恐らく都市部から道の駅を訪れる消費者は以下のような方だと思います。

彼らは商品(Commodity)そのものを求めるのではなくて、商品(Commodity)に付帯する何か周辺価値(Surrounding Value)を求めて行動し、そしてその結果商品(Commodity)を購買するのだということです。周辺の価値とは、恐らく精神的な価値(Spiritual Value)とか社会的な価値(Social Value)を意味するのではないのでしょうか。

道の駅が都会の消費が冷え込んでいるなかでも健闘している姿を知るにつれ、そういう世界が都会の消費者の心に広がりつつあるのを感じております。

一方で、消費者の心に忠実の応えることにより成功している道の駅の話をします。

2月末、岐阜県東濃にある道の駅「土岐美濃焼街道どんぶり会館」にお邪魔しました。同駅の丹羽駅長のお考えははっきりとしております。

道の駅作りに当たっては‘お買い上げ頂く場’とするのではなく、如何に利用者にとって快適な『過ごし場』としてお客様に楽しんで頂くことだけを考える、というものです。

同駅では産品交流(=他の道の駅で販売されている特産品を仕入れ販売すること)を積極的に 進めていますが、陳列、販売されている商品が東北の道の駅からのものであろうが、九州の道の駅からのものであろうが自ら足を運び選定したものです。全ての商品は自らの舌で味わっております。

ここの産品交流コーナーへは、他の道の駅から視察に来る方も多いです。POPに書かれている斬新な薀蓄(うんちく)、都会型マーケティング手法を超越した奇抜な陳列、どれが売れ筋商品なのかということに関心を寄せる方が多いようですが、私は、それらは表層的なものであり、視察する方は、丹羽駅長の心の奥底に流れる考えをきちんと理解しなければいけないと思っております。

本家の道の駅ではさっぱり売れておらず、棚の端っこで寂しく眠っていた商品がこの道の駅に置かれるとまたたく間に輝くのです。そういう事例が実に多いのです。ここで売られている商品の多くは私自身本家の道の駅で見かけたことがあります。でも、その時には手を伸ばさなかったにも関わらず、ここでは手が出るのです。

何故なのか?

それは丹羽駅長が、どんぶり会館を訪れるお客様に対して、‘少しでも他の地域の道の駅の産品の素晴らしさをお伝えしたい、その地域の美しさをお伝えしたい、商品を見ることを通じて、安らぎを感じて頂きたい’という気持ちがあるからです。
自ら苦労して仕入れた商品ですので、それはそれは愛情は大変深いです。‘商品をお客様’とすら呼んでいます。‘美しく陳列しないと仕入先の青森県の方に失礼だ’ともおっしゃります。だからこそ配送の過程でたまたま付いた小さな傷も見逃しません。‘傷もののリンゴを陳列したら津軽のブランドイメージを毀損させる’という考えです。本家の道の駅の方より思い入れが深いと言っても過言ではありません。

『お買い上げは結果であって、良い過ごし場をどう提供するか』が、常々丹羽駅長がおっしゃる言葉です。

この様な透徹した考えが先ずあり、その結果として好成績を挙げております。

どんぶり会館の丹羽駅長の取り組みは正に商品(Commodity)を売るのではなく、周辺価値(Surrounding Value)を提供するという行為の模範例です。

最後に小さなエピソードを紹介します。40年以上前の話です。

未だ海外に行ける人は一握りだった時代です。私は、西武池袋線沿線に住んでおりましたので、母親に連れられて池袋にある西武百貨店に行く機会が多かったです。

この西武百貨店で催されていた『英国展』は今でも瞼に焼き付いております。

ビッグベン、バッキンガム宮殿の衛兵隊のポスター。紅茶、ビスケット、ジャム、ティーカップなどが 陳列されておりました。当時の日本人にとっては全て珍しい商品であり、また、なかなか手を出せない値段だったので、殆ど観るだけでしたが確実に英国に対するイメージが膨らみました。

‘格好良い。洗練されている。きらめいている。王室の伝統の重みを感じる。ああヨーロッパ。。’

当時の百貨店は商品を通じて日本人の『夢』とか『憧れ』を膨らませる場であったと云えましょう。

翻って、地域です。ここには未だ都会へ紹介されていない魅力的な世界が沢山眠っています。

道の駅は良い『過ごし場』を提供することを通じて魅力的な世界造りを目指し、厳しい環境下にあっても是非、生き抜いて欲しいと願っております。また、都会のマーケッターが欲している世界を道の駅が先んじて創り上げるのだという強い自負心を持って頂きたいと思います。


執筆者

未知倶楽部室 室長 賦勺尚樹

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