岐阜県土岐市といえば美濃焼のふるさとである。現在でこそ中心市街地は土岐川沿いの平坦な地形を中心に広がっているが、「昔はこの辺は野っぱらだったのではないか」と丹羽さんの言。美濃焼1300 年に及ぶ歴史のうち、鉄道が開通する以前までは、陶土に恵まれた山すその地域に、美濃焼を製作する集落が点在していたという。
陽光あふれるレストラン。名物メニューの「献上丼」は、給仕される際に使われたものと同じドンブリを持って帰ることができ、評判だ。
「極端な話、買っていただかなくてもいいんです」という個性的な哲学を、道の駅 土岐美濃焼街道 どんぶり会館 の駅長である丹羽正孝さんは持っている。「満足してお帰りいただきさえすれば、そのお客さんはお友達やご家族を連れて、また来てくださるでしょ?」と快活に、かつ力強く語った。「どんぶり会館は美濃焼を紹介するアンテナショップ」という丹羽さんの言葉どおり、この道の駅の物販施設のほとんどを美濃焼の食器類やハウスウエア類が占めている。しかも、メーカーからの直取引だけあって価格もリーズナブルだ。「いちどきに高額のお買い物をしてくださるお客さんに喜ばれる店作りは当然としても、どんぶり会館は立ち寄ってくださった方すべてに満足していただきたい」。ひとりの来訪者に気持ちよく過ごしてもらうことが、将来より多くの来訪者を呼ぶことに繋がる、というのが丹羽さんの信念なのだ。
もともとは家電品類の卸売営業の仕事をしていた丹羽さん。そこは策謀うずまく厳しいビジネスの世界だった。そんな世界で勝ち残るための秘訣を.、丹羽さんは人と人との信頼関係に見出した。「モノだけを売ろうとしても商売にならない、まずは人とのきずなを作ることが肝心」という哲学だ。どんぶり会館の運営にあたってもその哲学はゆるぎない。来訪者をがっかりさせない気遣い、来訪者をワクワクさせる仕掛けづくり、そういったことに丹羽さんは日々腐心している。デラックストイレ、無料休憩スペース、無料給茶器、日替わりラッキーナンバープレートによる記念品進呈、お誕生日プレゼント等々、丹羽さんの多彩なアイディアが実践されている。
どんぶり会館から望む駄知の街並み。
山すそに密集する屋根瓦の
黒さが、秋の光をまぶしく反射している。
丹羽さんが他の道の駅と連携を図ろうと尽力していることも、そうした哲学を背景としている。駅施設内の一角を割いて、岐阜県東濃地区の道の駅を紹介するコーナーを設けているのは、「お客さんがこの地域への理解を深めてくれるきっかけになれば」と考えてのことだ。各駅のイベントの紹介や特産品の販売などを、 丹羽さん自身の“手作業”で行っている。 丹羽さんのこうした構想は、県境を飛び越えて全国に広がる。「日本中の道の駅と連携して、気軽に商品のやりとりをするようになったら面白いだろうなあ」。定期・不定期に“全国道の駅物産即売会”のようなイベントを行いたい、という考えのようだ。開館して7年以上を経た現在でも、駅を訪れる人を喜ばせるための新しい取り組みを求め、模索の日々が続いている。
不動窯の作業場の屋根を望む。煉瓦製の煙突は
古い窯のもので、もはや使用されていない。
その手前の金属の煙突が現在のガス窯のものだ。
どんぶり会館のバルコニーから南側を見渡すと、黒い屋根 瓦が連なる集落が見える。古くから陶器づくりが行われた 集落のひとつ、駄知の街並みだ。この集落が古いことは、 訪れた者なら疑いなく理解できる。自動車1 台が通れば目 一杯、という細い路地すれすれに窯元の塀が連なる街並み が今でも残っている。そうした独特の景観の奥に、「不動 窯」もたたずんでいる。「最近は一般客を受け入れてくれる窯元も増えました」と丹羽さん。不動窯もそうした窯元 のひとつだ。作業場を見学させてもらえば、3 基の真新し いガス窯の裏に、いつの時代のものとも知れぬ煉瓦造りの 古い窯の跡がひっそりと残っている様子を見ることがで きる。
陶器の食器類として全国シェアの半分以上を占める美濃焼は、伝統的工芸品としての芸術性も高く評価されている。土岐市をはじめ近隣を含めると、百数十人の美濃焼作家が活動しているそうだ。 最近はそうした陶芸作家の中にも、自分のアトリエを一般に公開している人が増えているという。古民家を思わせる落ち着いた雰囲気を有する「玄保庵」で自作の展示販売を行っているのは加藤保幸さん。加藤さんは日展入選作家でありながら、気さくで飾らない人柄の持ち主だ。仕事場のガス窯を見せてくれながら、「薪をくべて焼くような窯にすれば、来てくれた人にもっと興味を持ってもらえるだろうけど・・・ここでそんなことをしたら煙が出て近所迷惑かなあ」といたずらっぽく笑った。玄保庵のある下石(おろし)という地区も古くからの作陶集落であるが、駄知とは異なり、現在では住宅や商店が建ち並ぶ一般的な街並みとなっている。
玄保案のガス窯。日展作家の加藤さん
とはいえ、薪を燃やす昔ながらの窯で
作品を焼く機会は年に数回のことという。
丹羽さんは、美濃焼に携わるあらゆる分野の人とのつながりも大切にしている。美濃焼が好きで「どんぶり会館」を訪れてくれた人に対して、地域の窯元や陶芸作家を紹介できることは、駅長としての務めであり喜びだと考えている。わが国随一の陶器産地であるという自負をもって、どんぶり会館を核とした地域活性化に真剣に取り組んでいることの現われといえよう。
「わが国随一」とはいうものの、伝統工芸の宿命というべきか、美濃焼の世界も後継者難に直面している。「若い人がせっかく美濃焼の世界に飛び込んでくれても、なかなか続かないようだ」と丹羽さんは嘆息する。どの窯元もそれぞれに苦しくて、やる気のある若い人に十分な待遇で報いることができない、という共通の悩みを抱えている。
どんぶり会館で働くひとりの青年。取材した月の月初からここで働き始めたばかりという。聞けば、ここに着任する前は陶芸を修行する身だったとのこと。「10 年くらい頑張ってきたんですけど・・・」と苦笑いしながら話してくれた。東北の生まれにして、陶芸を志し美濃にやってきたという彼も、伝統工芸をとりまく逆風に抗えなかった人の一人なのか。しかし果たして、彼自身は至って前向きだ。「土岐は住みよい土地柄ですから・・・古くからの魅力的な建物や街並みも好きですよ」。新しい“郷里”への愛情と美濃焼への愛着を深めている彼は、地域の活力を担う一翼として爽やかな歩みを重ねている。