その後、道の駅のすぐそばにある野外音楽堂に移動して、東京芸術大学の学生さん達が描いた加子母林業の江戸時代当時の様子を伝える壁画をゆっくりと見て歩きました。
当時、尾張藩は乱伐を防ぐために「檜一本首一本」、つまりヒノキ一本を切ったら首が飛ぶ、という厳しい規則を作り檜の美林を守ろうとしたとのこと。
あまりの処罰の厳しさに恐ろしさすら感じました。
尾張藩によって山の見廻りなどを担う山守役に任命された加子母村の庄屋、内木彦七から140年間、山守役を代々世襲した内木家の末裔である内木哲朗さんも駆けつけて、共同生活をしていた杣人(そまびと)の暮らしぶりや山守の生活、切り出した木材を下流に流すための知恵など、当時の加子母林業の様子を伺いました。
参加者一同、「へぇ〜」「すごい」などと感嘆の声をあげながら加子母の歴史を学びました |