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未知倶楽部コラム

東京雑考

2006年4月4日

私は1960年東京都練馬区中村橋で生まれ、その後保谷市(西東京市)に移り、同地で3歳から8歳までの少年時代を送りました。ちょうど東京オリンピックに国中が熱狂し、ツイギーがミニスカート文化を持ち込み、学生が激しい運動を開始する前夜でした。

保谷市。今でも田舎の雰囲気を残すところだと思いますが、昔は本当に田舎でした。

家の裏はキャベツ畑、駅から家までの間には茶畑、にんじん畑、ねぎ畑とありとあらゆる小さな畑がありました。確か、肥溜めに落ちた友達もいました。道は舗装されておらず下水も充分行き届いていない。

また、盆踊りとかがあると近所の人と連れ立って真っ暗闇のなかで懐中電灯をかざしてスリル万点、近くのお宮さんへ行ったことを思い出します。

人と人との関わり、助け合い精神が必要だとか必要でないとかの議論すら起こることなくそれらは当たり前な時代でした。

今都心のマンションに住んでいますがあの時の澄み切った空気、勇壮にそびえる富士山の姿、石神井川で捕ったアメリカザリガニが懐かしいです。

土の匂い。虫の音。朝露のついた雑草。かなぶん。青大将。

そんな世界は東京から消えつつあります。

東京。。。。

色々な人が色々な考えで住んでいる巨大な街。

でも単なる消費、利便性、競争、欲望の場ではないし、そうあってはいけない。

そう思い続けて地域を訪れ地域の人たちと語り合い、そして究極的に東京再生を考えています。

執筆者

室長 賦勺 尚樹

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