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未知倶楽部コラム

街道文化の宿場街

2006年12月28日

昨日、一昨日(12月26日、27日)岐阜県東濃地区を訪問しました。東濃道の駅連合会会長(道の駅土岐美濃焼街道どんぶり会館駅長)の丹羽様に同行を願い、加子母、きりら坂下、どんぶり会館、おばあちゃん市山岡、茶の里東白川の各道の駅を巡らせて頂き、年末のご挨拶を申し上げました。

丹羽様とまる二日間ご一緒するあいだ、色々なお話をさせて頂きました。そのなかで特に興味深かったお話を、今年最後のコラムとして皆様にご紹介させて頂きたいと思います。

丹羽様には道の駅に関して独特な考えをお持ちです。『道の駅というのは、街道文化の宿場街である』と常々唱えていらっしゃいます。

丹羽様曰く・・・


昔から日本には街道が巡らされていた。街道を通じて商品交易が行われ、そして文化の伝播、交流が起こった。

街道には必ず宿場街があった。長い道のりをてくてく歩いた旅人が、休みをとったり、泊ったり、食事をしたりする場である。

そして何よりも宿場街に求められたのは情報提供である。

昔は峠を越えた先は別世界。道だってちょっと大雨がふれば倒木により妨げられる。川だってちょっと増水すれば橋がないので渡れない。夜道を無理に突破しようとすると山賊に襲われるかもしれない。急に関所が出入国を厳しく規制しはじめるかもしれない。

目的地へ辿り着くためには、我々現代人では想像出来ない程の困難が付きまとった時代。そこでは、情報が旅人の生殺与奪を握っていたとも言える。

宿場街にはそこを通る東西南北の人たちが集まる。当然、その街の人は近隣、遠方、果ては都の動向等の情報を聞く。そしてその情報を欲しがる別の旅人にも提供する。

しっかりした観光案内所はなかったかもしれないが、宿の女将や飲み屋の店主は、街道を行き交う様々な人たちの何気ない言葉に耳を傾け、それを仕入れることを通じて案内所としての機能を備える。

宿場街として存続できるかどうかを考えると、宿屋や食事処があるだけでなく、通過する旅人にどれだけの情報を提供できるかにかかってくる。そしてその情報はやはり旅人からどれだけ仕入れることが出来るかにかかってくる。

更に宿場街が繁栄するためには、住んでいる人にどれだけ必要な産物を提供できるか、そしてこの地の産物を如何に外の人たちに売るか。富の蓄積は街の繁栄には欠かせない。

そこで、商人(あきんど)が重要な役割を果たす。彼らはあらゆる商品の流通を担うとともに、各地の情報を定期的に宿場街へともたらす。

商人は商品だけではなく情報を持つ事が求められてきた。現代の道の駅にも、その機能が求められている。


新しい国道なり県道が近くを通った結果、脇道になり廃れてしまった旧街道の風景を、全国いろいろなところで見かけます。それでも旧街道の宿場町には、宿屋、食事処、酒倉、商店、寺院、神社が調和を保ちながらその佇まいを残しています。今は寂れているけれど、過去何百年にもわたって高い価値を保てたその理由は何か。

古(いにしえ)の姿から学ぶ点は沢山あると、丹羽様の言葉を反芻し、改めて道の駅を眺めながら考えている次第です。
執筆者

未知倶楽部室 室長 賦勺尚樹

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