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未知倶楽部コラム

公共心について

2006年11月21日

私は毎週色々な道の駅を訪問しております。 先週は宮城県の南三陸地区の道の駅。別名黄金街道と 呼ばれ、嘗ては沢山の金がこの地区では取れ運ばれたと のことです。お忙しい中、色々なお話をお聞きすることが出来ました。 今週は島根県、そして再来週は石川県の道の駅をお邪魔します。

さて、本日お話したいことは公共心の問題です。 それはそれは道の駅の責任者は、あらゆる公共施設の中で この問題について最も悩まれております。何せ、地域で最も 人が集まる施設なのでその悩みは日常的であり深刻です。

モラルの低下は至る所にはびこっております。幼児への虐待、 学校でのいじめ、給食費の未納問題、図書館の本の窃盗、書き込み。 悪いことは何でも許される。人がやっているのなら自分がやっても。 誰も気づかなければ。。。。得てして人間は悪いことを直ぐ真似、そして 学びます。所詮人間は弱く、そしてその程度なのでしょう。

ところで道の駅です。色々なところで道の駅の駅長さんの悩みを 聞きます。ごみの持込、きれいな花壇への車の灰皿の吸殻捨て。 トイレを汚す。駐車場の長期利用。はたまた夜間での犯罪行為。 殆ど日常的な出来事です。

全ての行為の論拠は‘道の駅は税金で作られている。だから 納税者である我々がどうしようと勝手である。’この話を聞く度に、 私は心が痛みます。先ず税金で作られているかどうか。確かに 駐車場、トイレ、情報施設は国の金が使われています。物販所、 振興施設は管轄市町村が金を捻出しています。一方、維持費、 従業員への費用等の殆どは利用者への物販、サービス等を 通じて貰う金で賄っています。売上、収益が上がらないと維持 出来ないのです。しかし、ことの本質は利用者が払う金で 賄っているかどうかではなく、公共施設であるからこそ利用者は 勝手なことをしてはいけないということなのです。

私企業の施設であれば施設を汚した場合、即刻退場です。 私企業には客を選ぶ権利があるからです。お金を払わない 客は原則トイレは使えません。周りの客に迷惑を掛ける客は 二度と来てもらわなくてもよいように断固と拒否します。

それでは公共施設である道の駅はどうか。公共施設は 原則全ての人を受け入れなくてはならないこととなっています。 公共サービスの一環としてです。 よって利用者のモラルに委ねざるを得ません。そこが道の駅の 大変つらいお立場です。

であればこそ利用者は自主的にモラルを高めなければいけません。

公共と名が付くものは、自分のものではありません。皆のものです。 よって公共心というものが大切なのです。 嘗ては‘公’と名の付く存在に対して、人々は高いリスペクトの 気持ちを持ったものです。学校もしかり、役所もしかり。ところが ‘公’で働く人の気持ちと、’公’に接する一般の人の気持ち、この バランスがいつからかどこかで壊れたのでしょう。それは大変残念なことです。

公共心は本人の品性と係わり合いがあります。その部分に 触れると何か大きなタブーに触れるような風潮が昨今あり、 それがいじめを始めとする問題を野放しにしております。

良いことは良い、悪いことは悪い以外には理由はありません。

どうか、道の駅の駅長及び従業員のお立場も考えて、 品位の低い行為を道の駅で行わないことを利用者の皆様には お願いしたいです。
執筆者

未知倶楽部室 室長 賦勺尚樹

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