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未知倶楽部コラム

『団塊の世代』に関する雑感

2006年09月19日

世は団塊の世代の話題で持ちきりです。大量の退職者が2007年から 3〜4年の間に現われるので、多くの人たちが彼らを相手にした大きな ビジネス・チャンスを狙っております。

集団母数が多いことだけが色めき立っている理由だとは思いませんが、 ビジネスの対象(金を搾り取るだけの対象)という考えが先にありきで 団塊の世代を論ずることは如何にも即物的ではないかと感ずる次第です。 とりわけ20代〜30代の若い人たちが、「団塊マーケット向けビジネス」とかを 深く考えることもなく絵を描いているのを見ると、「人はモノ(=金づる)ではないのに。」 と呆れてしまいます。

そんな風潮の中、団塊の世代との関わりについて私の考えを述べさせて 頂きます。

私は団塊の世代の方々より一世代若いです。(1960年生まれ)

団塊の世代の方々が中学校に上がった頃に生まれました。 また、団塊の世代が10代後半から20代始めになり若者文化の 中心になった時に、私達は小学生時代を過ごしました。 従い、団塊の世代の方々が若かりし頃については少年時代で したが、ある程度リアルに覚えております。

また、その後に私たちが送る青春時代は団塊の世代方々の光と影とを 掻き分けながら歩んで行くこととなるので自分達とは無縁な存在ではありません。

団塊の世代が若かりし頃に彼らが関わったり、彼らを取り巻いた事象を 想起する言葉をAt Random(=思いつくままに)に書き出してみます。
(*帰国子女なのでちょっと偏っているかもしれませんがご容赦の程)

ヒッピー、ミニスカート、ビートルズ、スパイダーズ、タイガーズ、 フォーククルセーダース、東大闘争、ナンセンス、内ゲバ、セクト、 ベ平連、連合赤軍、全共闘、寺山修二、帰ってきたよっぱらい、 受験生ブルース、ピーターマックス、コンミューン、反体制派、長髪、 新宿西口、浅間山荘事件、大阪万博、全日本フォークジャンボリー、 帰ってきたよっぱらい、日比谷高校、私服通学、自己否定、毛語録、 文化大革命、庄司薫、高橋和巳、我が解体、柴田翔、小田実、吉本隆明、 三島由紀夫、札幌オリンピック、アポロ11。。。。。。

確か、『戦争を知らない子供たち』が流行っていました。戦前派の 親たちとの決別の歌とも言えます。

これらの言葉から当時の若者ははつらつと、且つ、時としてラディカルに 活躍していたことが連想出来ます。

大きな社会的な背景を述べますと、この時代は第二次世界大戦が終わってから 20年以上が経過し、平和と経済的な豊かさが定着した時代と言えます。 その一方で、繁栄の陰に潜んで燻っていた色々な歪(ひずみ)がフォッサマグマ の力の如く大きく噴出した時代でもあります。

1968年パリで起きた5月危機から端を発したムーブメントの影響を受け 世界規模で学生達が自治、平和、反体制等既存秩序への疑問を唱えて 立ち上がります。

各国毎に闘う対象は違いますが先進国では一つのブームのように 政治、社会、文化等様々な分野において若者たちが激しい自己主張を 始めます。

米国では長引くベトナム戦争に対してアンティーテーゼを唱え、そこから 反戦運動をする人、徴兵拒否をする人たちが現われ、東洋思想などが 融合して独自のコンミューンなどが生まれます。
また、公民権運動と連動して『Black is Beautiful』という標語が生まれ マイノリティーの地位向上と既存の歴史的価値観の見直しを進めます。 ジョン・ウェインが出てくる映画にある「アメリカンインディアン=悪」という 構図がおかしいのではとか云う今では当たり前に受け入れられる思想 が確立した時代でもあります。

その動きに連動して日本の学生も激しく政治、社会、文化の既存の 体制に対してアンティテーゼを行ないます。勿論全ての人が直接的に 関わった訳では有りませんが、全ての人が係わり合いについて考え、 そして行動したのは事実だと思います。時として激しく、そして残酷に 傷つけあうこともあったと思います。また、時として冷ややかに見つめて いたこともあったと思います。

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さて、私たちの話です。

1970年代の後半に私たちは高校を卒業し大学へ進みます。

荒れ狂った学園の炎も鎮まり、キャンパスには問題意識の高い学生と 社会の問題から意識的に目を逸らす学生が混在しています。しかし、時とともに 前者は次第に少数化してゆきます。

この時代に厳しい体育会系の部から気ままにスポーツを楽しむサークルが 雨後のたけのこの如く生まれました。猫も杓子もスキーとテニスを始めます。 また、学生が海外旅行などを始めたのもこの頃です。大学が就職予備校と なることに何ら違和感を持たなくなった時代です。

ドナ・サマー、アースウィンドアンドファイアー、ビージーズ。そしてイーグルズ の『ホテル・カリフォルニア』。 ディスコでのフルーツポンチ。オフコースが 優しいメロディーで男女の情感を歌い、河島英五が「酒と涙と男と女」の 中で男の切なさを歌う。サザンがしゃがれた声でエリーと叫ぶ。 TVでは女子大生の素人らしさが受ける。

何か煮えきれない私たちはほんのちょっと先の『三無主義』を引継ぎ、 挙句は『シラケの世代』『やさしさの世代』等のレッテルを貼られ、 先の世代の方々からは『自分のやりたいことをやりなさい』とか言われ 無力感を感じさせられたこともありました。

何ともいえない虚無感が70年代の最後の年と80年始めに私たちの周りには 漂っておりました。若者のエネルギーが本来人を傷つけてしまう程に残酷で 鋭利なものであるという定理が成り立つとすると、明らかに私たちはその行為を 意識的に避けていたのではないかと思います。そして、私たちの内面的葛藤も 知らずに新しく入学してくる無垢な学生に対して、私たちは意識的に何かを伝える ことを避けていたのかもしれません。

あれから30年近く経ちました。

その間にバブルに湧く物質主義万能時代を経て一つの価値観が崩壊しました。
まがいものの宗教の氾濫とその終焉。これはいつの時代でも繰り返します。

現在、幼児虐待、少年達による殺人事件が大きな社会問題となっています。

若者の大きなエネルギーが行き場を失い彷徨(さまよ)っています。

嘗ては激しいアジ文で溢れていたキャンパスの壁面も今や落書き一つない 清潔さを醸し出しております。今のキャンパスに求められるのは居心地の良さと恭順 です。

一体全体『あれ』は何だったのか。。。

あの時、何かを言いかけて言わなかった私たちの‘行為’が今の問題を引き起こして いるのかもしれないと時々思います。そして身を持って示す行為の欠如がモラルの 低下を生み出したかもしれません。

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団塊の世代の皆様は、まだまだ精神的にも肉体的にも若いうちに退職されることとなります。色々なご経験とご苦労を体験され優れた技能を持たれた方が多いと思います。そのような方々が単にマーケットという踊場の主役になり、‘個人的な趣味の世界’に埋没されるのはもったいない話です。

是非とも色々な軋轢の中で格闘されたご経験を地域活動、社会貢献活動等 モラルの確立、青少年の育成の等の心を豊かにする活動の為に尽くされ、 そして同活動の重要な一翼を担われることを祈念しております。

未知倶楽部はそのようなお考えを持たれる団塊の世代の方々と共に、地域ビジネスを 創り上げたいと思っております。
執筆者

未知倶楽部室 室長 賦勺尚樹

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