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未知倶楽部コラム

観光の秋、感考の秋、思い出にふける秋?

2006年09月19日

日中の気温も20℃程になりとても過ごしやすくなりました。。
朝晩は10℃前後まで下がるようになり、北海道の屋根では紅葉も始まりまっています。
北海道は一気に花で溢れる春を迎えたかと思えば、抜けるような青空をバックに見事な紅葉で短い秋を終え、純白の世界へと変貌します。
この見事な四季の移ろいを肌で感じられるのが北海道観光の魅力の一つでしょう。

私が旅行とか観光に関わってから30余年になりますが、北海道への旅行スタイルも少しずつ変わってきました。 当初はJRと連絡船利用が主力であり航空機はまだ脇役でした。あちこちに未舗装の峠道も存在していましたし、1週間も10日もかけて北海道を回ることもごく普通の時代でした。団体旅行が中心の時代で、個人旅行と言えるのは学生さんを中心とした若者の「貧乏旅行」くらいでしょう。民宿や浜でアルバイトをしながら旅行を続けている若者をずいぶん見かけたものです。
今では学生さんも裕福になったらしく、レンタカーやバイクで旅行をする人が多く日数も短くなったようです。 道の駅でバイクや自転車の旅行客を見ていて感じるのは、女性のライダーとおじさんライダーが増えたことです。私も十代の頃はバイクに乗っていました。「チョイ悪おやじ」で復活しようかな?
北海道そのものを肌で感じるには自転車や徒歩&路線バスがベストですが、この20年ほどでバスや鉄道も便数が減ったり廃止されたりで、そんな旅のスタイルは昔話となってしまいました。

キャンプにしても今や手ぶらで行ってもOKな時代。電源が用意され電気釜さえ使えるところも。 キャンピングカーもずいぶん増え、夏休み期間中は道の駅の駐車場で夜を過ごす方も目立ちます。 昔との大きな違いは「食べる場所と寝る場所を変えただけ」でもキャンプと呼んでいることですね。 薪を探しに行ったり、苦労して火をおこしたり、出来損ないの食事を食べたり「不自由さを味わう」余裕は失われたようですね。
不自由さからは、塾やゲーム、Webサイトからは学べない多くの生きた知恵が学べます。スローライフとかロハスという言葉も一時の流行に終わらなければ良いのですが・・・

観光地はどこも便利で「垢抜け」してきれいになりましたが、素朴な味が失われているようです。
本当の意味で「素朴さ」と「便利さ」は共存できないと私個人は思っています。 不便さが自然や素朴さという魅力を守ってきたはずですが、「開発」や「整備」という名の下で便利になった途端、自然破壊や希少動物の絶滅が加速してしまうのです。
世界自然遺産でブーム再燃となっている知床がその狭間でもがいているようにも見えてしまいます。 より便利に、より奥地へと「整備」が進み、多くの人々を招き入れましたが、荒削りで圧倒的な存在感が次第に薄れてきたように見えてしまうのは私だけでしょうか。
地域経済に多大な貢献をしてきた「観光」ですが、失ったものも少なくはないでしょう。 本来持っている自然や地域で育んできた素材を「どう活かし魅せるか」が観光の課題だと思います。


一方訪問する側の意識も変える必要があります。
「モラルの低下」という言葉を頻繁に耳にするようになりました。日本人の文化や自然保護に関する意識は世界でも類を見ないほど低いと言われます。世界中の文化遺産に署名(別名いたずら書き)をしてそのレベルの低さをアピールし続けているのですから。公園で・山で・海で・遺跡で、目を向けられないほど荒らし放題、汚し放題、捨て放題。
モノ(者・物)を大切にする気持ちが過去のものとなってしまうのは本当に悲しいことです。 大昔に戻れとは言いませんし戻りたくもありませんが、誰もが出来ることは山ほどあるはずです。

どうも愚痴っぽい昔話になりました。年のせいでしょうか?(56歳!当たらずとも遠からず)

他人事とは決して思っていません。なにせ自分がその経済活動の真っ只中にいるのは現実で、多くの人に来ていただかないと仕事も生活も成り立ちません。
そんな中に身を置きながらも「自然と人を育む観光」とか「道の駅」の将来について考えてみたいと思います。

秋の夜長に・・・

執筆者

道の駅サロマ湖 杉本武雄

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