殺伐とした人間関係に効くクスリは
2010年05月28日
不特定多数の人が利用する「道の駅」。管理・運営上で対応に苦慮される駅長さんも少なくないでしょう。ルールとかマナーで括れないような内容かもしれませんが、最近、とみに目に付くようになった事例をいくつか・・・
◆道の駅に必須の「身障者用トイレ」について
当駅には「身障者専用トイレ」が1箇所しかありません。最近、急に増えはじめたのが「健常者」の恒常的な利用です。一般ドライバー、親子連れ、バイクのライダー等々偏りはありません。次から次へと身障者トイレ専用ドアのボタンを押して入ってゆきます。昨年頃から目につき始めたのですが、今年は異常に多いと感じます。
何かの事情があるのか、無いのか一方的に決めつけられませんが、長居している時に限って本来必要とする利用者がやってくるものです。GWの混雑期には「車椅子利用者が健常者の出るのを待っている」なんてヘンな事態まで目撃するに至っています。
「車椅子利用者用の駐車スペース」も1台分しかありませんが混雑に関係なく元気の良い若者のRV車が停まっていたりします。大きなスーパーも同じ状況で、大きな袋をぶら下げた足腰元気な人が「車椅子利用者用」駐車帯の車に乗り込むのをよく見掛けますよね。
身障者に限らずお年寄りや妊婦の方などの利用も視野に入れてはいますが、「空いているからいいじゃん」と言いつつ利用する健常者を排除するのは公的施設・サービス業でなくても大変に難しいものです。諦めて見ているしか手はないのでしょうか・・・
◆外国語の観光案内資料や地図の配備について
近年、北海道でも多くの中国系、韓国系の観光客が増えています。少しずつですがレンタカーを借りるグループも出てきています。中国語やハングルの資料・地図は作成に手間と費用がかかるため、公的機関から配布される僅かな部数を掲示(設置)しています。
パンフレットスタンドには「部数僅かのため日本人の方ご遠慮下さい」と大きく表示をし「事情を添え書き」して協力を求めています。しかし持ってゆくのは「純国産の日本人」ばかりですぐに底を尽きます。かと言って倉庫にしまいこんでは意味がありません。
数日前に観光バスが立ち寄った時のできごと。中国語の地図を手に持ったバスガイドさんがやって来ました。
バスガイド : 日本人用のじものは無いのですか?
私 : この地図は外国人向けに作成したもので日本語版はありません
バスガイド : バスのお客さんだって色々な資料が欲しいんですよ!
私 : 日本語の資料は種類も多く各地域でも入手できますが、外国語の資料はなかなか入手できません。地域の資料は
ご用意していますのでどうぞ。この地図はできればご遠慮いただきたいのですが…
持ち出すのを見掛けた時は事情をお話しして協力をお願いしますが『じゃぁ、日本語版を用意しておいてよ』と言われるのがオチです。残念ですが本来必要としている人に渡る前に在庫はゼロになります。< 「閲覧用」として配置しても持ち去られることがしばしば。(特に地図)「日本人はダメです」と拒否することも出来ませんし対応が難しいです。
言葉が通じない外国で日本語の地図や資料があったらうれしいですよね?日本に来る外国人観光客の存在をもう少し意識すべきたと思います。『YOKOSO JAPAN』と、できる範囲で暖かくお迎えしたいものです。
◆どこでも起きている「迷惑仮眠」の長時間駐車
道の駅の駐車場は「公的役割」を持つドライバーの休憩場所です。その意味から一時的でも長時間でも駐車を制限することはできません。しかし、そうであっても迷惑と感じている人は多いものです。当駅は物産館を主体とした施設ですので施設の内外で飲食も可能です。春〜秋の施設前はイスやテーブルを配置した「にわかテラス」になります。
駐車場は中規模で大型用駐車帯は3台分しかありません。施設前も狭いためイス・テーブルと駐車場は至近距離になるのですが、そんな場所で昼前から夕方まで仮眠するトレーラーも見掛けます。(3台分全部をカーテンを閉めた仮眠のトレーラーが占めることも)
一昨年までは皆無と言っていいほど日中の仮眠駐車はなかったのに昨年から常連となる車を見かけるようになりました。トレーラーに共通するのはディーゼンエンジンの音が大きいこと。(エンジンを止めてもピークの時間帯は遠慮して欲しいのが本音)
冷凍運搬車の場合はテラスでの会話が聞き取れないほどの轟音です。窓を開けていると施設内でも電話の声が聞き取れないほどです。排ガスが直撃するわけではないものの、健康的とは言えません。
こんな場合でも駐車場から追い出したりすることはできません。ドライバーは「公的駐車場」で休憩しているだけ...なのですから。利用制限をしていない以上は利用者のモラルに委ねるしかないのです。
近年増加しているキャンピングカーの夜間駐車も悩みのタネです。オートキャンプ場とは異なり給水や洗い場・電源も設置していません。(オートキャンプ場は有料・夏しか使えない難点も)中には駐車場でバーベキューを始める人まで出てきます。
それでも悪意が無く被害が出ない限り「排除」はできません。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
これらは日常の中のほんの一コマですが対応が難しいものです。
やんわりと注意を促しても返ってくる言葉はだいたい共通していて、
「他の人もやってるじゃん... 何故私(俺)だけに言うワケ?...」
「どうしてダメなの?... どこの誰が困っているワケ?... 」
「そんな法律あんの?... あんたに言われる筋合いはナイヨ」
こうなると悲しくて次の言葉を発する気力さえ失いドッと疲れます。 「気楽に、自由に、自分らしく・・・」というような生き方を「自分の好きなように」と解釈し信じて疑わないのでしょうか?
マナーが「守れない」のは「知らない」ことにも原因があります。社会は「善良な人」より「優秀な受験生」を育てようと必死ですが、知識ばかりを詰め込んでも「豊かな人間性」は育ちません。自由や個性ばかりを主張しては「協調性」も身に付きません。
生活するなかで自然に学んでゆくのが「社会のルール」ですが、希薄な人間関係の中では「教え&教わる」機会さ失われます。多感な時代の多くは「受験・ゲーム・テレビ・ケイタイ」に奪われ、家庭でも学校でも恋人同士でさえ濃密な会話が減っているようで、挨拶や感謝、お詫びなどの言葉さえ発しない人も増えています。
『みんなが気持ちよく』がルールやマナーの原点だと思います。そのために必要なのが相手を理解すること、思いやることで、コミュニケーションとしての『言葉』が重要ではないでしょうか。言葉足らずはギスギスした人間関係を生んでしまうからです。
4月26日の「駅長コラム」にすばらしいことが書かれています。
(道の駅杉の湯川上駅長 久保信幸氏投稿)
『綺麗な言葉、嬉しい言葉、たのしい言葉・・・』
人間関係を上手く保つためにはこれらの「言葉」が欠かせません。
最近は「ぶつ切り」の言葉が多くなったと感じませんか?まるで外国人が覚えたての日本語を話すような雰囲気です。(会話不足の例とされる「メシ、フロ、寝る」と同じ状態)
携帯メールのような「ぶつ切り言葉」で深い人間関係は築けません。用事が伝わるだけでは「コミュニケーション」とは言いませんよね。感情のこもった表現・言葉は「豊かな人間関係」をつくります。人間関係が豊かな社会には「優しさ・思いやり」が生まれます。
昔に戻ることはできませんが、本来の人間関係を回復するのは社会(特に教育)がすぐに行動すれば可能なことだと思います。(“話す”“書く”“読む”能力を取り戻す)
若いときだからこそ不安定な心模様を書き、読み、話すべし!
「どんな言葉で愛の告白しようか」と考え、想い、悩むべし!
絵文字混在のメールより直筆の恋文(手紙)にドキドキすべし!
「ありがとう、どういたしまして」綺麗で暖かい日本語ですよね。
Thank you では伝わらない日本語独特の温もりを感じませんか?
小学生に英語の授業を導入する動きがありますが、今だからこそ「日本語が使える日本人」を育てることが自然だと思いますが?
夢物語かもしれませんが、優しさ・思いやりの溢れる社会が復活し、ルールだマナーだと言う必要がなくなればいいですね。
◆道の駅に必須の「身障者用トイレ」について
当駅には「身障者専用トイレ」が1箇所しかありません。最近、急に増えはじめたのが「健常者」の恒常的な利用です。一般ドライバー、親子連れ、バイクのライダー等々偏りはありません。次から次へと身障者トイレ専用ドアのボタンを押して入ってゆきます。昨年頃から目につき始めたのですが、今年は異常に多いと感じます。
何かの事情があるのか、無いのか一方的に決めつけられませんが、長居している時に限って本来必要とする利用者がやってくるものです。GWの混雑期には「車椅子利用者が健常者の出るのを待っている」なんてヘンな事態まで目撃するに至っています。
「車椅子利用者用の駐車スペース」も1台分しかありませんが混雑に関係なく元気の良い若者のRV車が停まっていたりします。大きなスーパーも同じ状況で、大きな袋をぶら下げた足腰元気な人が「車椅子利用者用」駐車帯の車に乗り込むのをよく見掛けますよね。
身障者に限らずお年寄りや妊婦の方などの利用も視野に入れてはいますが、「空いているからいいじゃん」と言いつつ利用する健常者を排除するのは公的施設・サービス業でなくても大変に難しいものです。諦めて見ているしか手はないのでしょうか・・・
◆外国語の観光案内資料や地図の配備について
近年、北海道でも多くの中国系、韓国系の観光客が増えています。少しずつですがレンタカーを借りるグループも出てきています。中国語やハングルの資料・地図は作成に手間と費用がかかるため、公的機関から配布される僅かな部数を掲示(設置)しています。
パンフレットスタンドには「部数僅かのため日本人の方ご遠慮下さい」と大きく表示をし「事情を添え書き」して協力を求めています。しかし持ってゆくのは「純国産の日本人」ばかりですぐに底を尽きます。かと言って倉庫にしまいこんでは意味がありません。
数日前に観光バスが立ち寄った時のできごと。中国語の地図を手に持ったバスガイドさんがやって来ました。
バスガイド : 日本人用のじものは無いのですか?
私 : この地図は外国人向けに作成したもので日本語版はありません
バスガイド : バスのお客さんだって色々な資料が欲しいんですよ!
私 : 日本語の資料は種類も多く各地域でも入手できますが、外国語の資料はなかなか入手できません。地域の資料は
ご用意していますのでどうぞ。この地図はできればご遠慮いただきたいのですが…
持ち出すのを見掛けた時は事情をお話しして協力をお願いしますが『じゃぁ、日本語版を用意しておいてよ』と言われるのがオチです。残念ですが本来必要としている人に渡る前に在庫はゼロになります。< 「閲覧用」として配置しても持ち去られることがしばしば。(特に地図)「日本人はダメです」と拒否することも出来ませんし対応が難しいです。
言葉が通じない外国で日本語の地図や資料があったらうれしいですよね?日本に来る外国人観光客の存在をもう少し意識すべきたと思います。『YOKOSO JAPAN』と、できる範囲で暖かくお迎えしたいものです。
◆どこでも起きている「迷惑仮眠」の長時間駐車
道の駅の駐車場は「公的役割」を持つドライバーの休憩場所です。その意味から一時的でも長時間でも駐車を制限することはできません。しかし、そうであっても迷惑と感じている人は多いものです。当駅は物産館を主体とした施設ですので施設の内外で飲食も可能です。春〜秋の施設前はイスやテーブルを配置した「にわかテラス」になります。
駐車場は中規模で大型用駐車帯は3台分しかありません。施設前も狭いためイス・テーブルと駐車場は至近距離になるのですが、そんな場所で昼前から夕方まで仮眠するトレーラーも見掛けます。(3台分全部をカーテンを閉めた仮眠のトレーラーが占めることも)
一昨年までは皆無と言っていいほど日中の仮眠駐車はなかったのに昨年から常連となる車を見かけるようになりました。トレーラーに共通するのはディーゼンエンジンの音が大きいこと。(エンジンを止めてもピークの時間帯は遠慮して欲しいのが本音)
冷凍運搬車の場合はテラスでの会話が聞き取れないほどの轟音です。窓を開けていると施設内でも電話の声が聞き取れないほどです。排ガスが直撃するわけではないものの、健康的とは言えません。
こんな場合でも駐車場から追い出したりすることはできません。ドライバーは「公的駐車場」で休憩しているだけ...なのですから。利用制限をしていない以上は利用者のモラルに委ねるしかないのです。
近年増加しているキャンピングカーの夜間駐車も悩みのタネです。オートキャンプ場とは異なり給水や洗い場・電源も設置していません。(オートキャンプ場は有料・夏しか使えない難点も)中には駐車場でバーベキューを始める人まで出てきます。
それでも悪意が無く被害が出ない限り「排除」はできません。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
これらは日常の中のほんの一コマですが対応が難しいものです。
やんわりと注意を促しても返ってくる言葉はだいたい共通していて、
「他の人もやってるじゃん... 何故私(俺)だけに言うワケ?...」
「どうしてダメなの?... どこの誰が困っているワケ?... 」
「そんな法律あんの?... あんたに言われる筋合いはナイヨ」
こうなると悲しくて次の言葉を発する気力さえ失いドッと疲れます。 「気楽に、自由に、自分らしく・・・」というような生き方を「自分の好きなように」と解釈し信じて疑わないのでしょうか?
マナーが「守れない」のは「知らない」ことにも原因があります。社会は「善良な人」より「優秀な受験生」を育てようと必死ですが、知識ばかりを詰め込んでも「豊かな人間性」は育ちません。自由や個性ばかりを主張しては「協調性」も身に付きません。
生活するなかで自然に学んでゆくのが「社会のルール」ですが、希薄な人間関係の中では「教え&教わる」機会さ失われます。多感な時代の多くは「受験・ゲーム・テレビ・ケイタイ」に奪われ、家庭でも学校でも恋人同士でさえ濃密な会話が減っているようで、挨拶や感謝、お詫びなどの言葉さえ発しない人も増えています。
『みんなが気持ちよく』がルールやマナーの原点だと思います。そのために必要なのが相手を理解すること、思いやることで、コミュニケーションとしての『言葉』が重要ではないでしょうか。言葉足らずはギスギスした人間関係を生んでしまうからです。
4月26日の「駅長コラム」にすばらしいことが書かれています。
(道の駅杉の湯川上駅長 久保信幸氏投稿)
『綺麗な言葉、嬉しい言葉、たのしい言葉・・・』
人間関係を上手く保つためにはこれらの「言葉」が欠かせません。
最近は「ぶつ切り」の言葉が多くなったと感じませんか?まるで外国人が覚えたての日本語を話すような雰囲気です。(会話不足の例とされる「メシ、フロ、寝る」と同じ状態)
携帯メールのような「ぶつ切り言葉」で深い人間関係は築けません。用事が伝わるだけでは「コミュニケーション」とは言いませんよね。感情のこもった表現・言葉は「豊かな人間関係」をつくります。人間関係が豊かな社会には「優しさ・思いやり」が生まれます。
昔に戻ることはできませんが、本来の人間関係を回復するのは社会(特に教育)がすぐに行動すれば可能なことだと思います。(“話す”“書く”“読む”能力を取り戻す)
若いときだからこそ不安定な心模様を書き、読み、話すべし!
「どんな言葉で愛の告白しようか」と考え、想い、悩むべし!
絵文字混在のメールより直筆の恋文(手紙)にドキドキすべし!
「ありがとう、どういたしまして」綺麗で暖かい日本語ですよね。
Thank you では伝わらない日本語独特の温もりを感じませんか?
小学生に英語の授業を導入する動きがありますが、今だからこそ「日本語が使える日本人」を育てることが自然だと思いますが?
夢物語かもしれませんが、優しさ・思いやりの溢れる社会が復活し、ルールだマナーだと言う必要がなくなればいいですね。
執筆者
道の駅サロマ湖 杉本武雄