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未知倶楽部コラム

道の駅訪問記〜岐阜編〜

2008年04月04日

◆道の駅 加子母(岐阜県)

岐阜県の道の駅「加子母」に降りた途端に、旧加子母村ののどかさを感じることが出来ます。

直ぐ裏手には澄み渡った川が流れ、国道を渡った前方に広がる山並みはとても優しいです。その中腹まで村人の民家が見えます。

人気を感じることが出来る村は安らぎを覚えます。

さて、その民家の中でもひときわ目立つのが「内木家」の屋敷です。門構えからして名家であることは一目瞭然です。

以前、その内木家の末裔の方に屋敷内を案内して頂きました。

大きな門を潜ると左手に見事なサルスベリがあります。奥には池があり往時を偲ぶことが出来ます。屋敷内には入ると数百年前にタイムスリップした心地です。

加子母は徳川時代に尾張藩に属しておりました。ここは檜(ヒノキ)の産地として有名です。檜は嘗て国の大切な宝。本来徳川の天領(直轄領)とすべきところが、家康が、晩年に生まれた幼い義直を愛する余りにそうせず尾張藩へ譲ったとの逸話があります。したたかな家康ですから真偽のほどはどうか分かりません。実際、美濃国は徳川幕府として戦略的に重要な地とみなし、わざと小藩に分割して統治したという史実があります。

この内木家ですが、‘山守’と称する近隣の山を管理していたこの村唯一のお武家様の家柄です。元は庄屋ですが尾張藩から管理委託を受けるようになり武家になったとのことです。江戸時代初期に木曾ヒノキが全国各所の城郭の建設用材として大量に乱獲されそれを防ぐための尾張藩の林政改革の一環です。

現在の当主(末裔)は十数代目の方です。東京の大学で学び東京で職に就いていたのですが、先代の逝去に伴いこの加子母に戻って来ました。40歳を少し過ぎた方です。

内木様がある日、誰も永年覗こうともして来なかった倉の中を整理をしていた時に、何十万点にも及ぶ文書を発見しました。

尾張藩宛ての公的な文書が中心で、その内容は同藩への年貢(ヒノキが中心)納めに関する報告、山の管理日誌のみならず村人の生活等つぶさに記録として残したものです。

現在地元の学者とともに、努めておられる役場の仕事の合間にこの膨大な資料の解読作業をされております。整理するだけでも何十年も掛かるという気の遠くなる作業です。

加子母も他の村同様に市町村合併の流れに飲み込まれ、今は村ではありません。

内木様が取り組んでおられるこの作業は、嘗ての山守の責務として‘村の誇り’を取り戻そうとしておられるのかもしれません。

このように、村の灯火(ともしび)は一人ひとりの‘想い’によって消えることなくく輝き続けるのだと思います。

加子母は私の大好きな村です。

執筆者

未知倶楽部室 室長 賦勺尚樹

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