HOME > 未知倶楽部コラム > 何の為の地域ブランドか?

未知倶楽部コラム

何の為の地域ブランドか?

2007年12月25日


久しぶりにコラムを書きます。最近は青森県津軽出張、岐阜県東濃出張、セミナー開催、未知倶楽部カフェ(SNSコミュニティー)サイト立ち上げ、それに来年に備えてのビッグな企画への準備等あり、なかなかコラムが書けず駅長さんコラムに頼り切りで反省しております。

さて、今回のテーマは地域ブランドです。

お国は団体商標登録制度により地域ブランド認定を進めており、その為に地域へは相当な金が注入されています。また、その事業に関わるコンサルタントも活躍しています。

私はその動きを決して否定しているものではありません。いかなる手法を取られようが地域が注目されるということは悪いことではありません。

しかしその地域ブランドをお国から認定されている地域の方と話をしていて大いに疑問を持つことがあります。

とっても単純な話です。

‘何のために地域ブランドに認定されたの?‘

この一番本質的な点が欠落しているのでは、と感じております。

日本固有の食文化に根ざした食材、工芸品をブランド認定することにより、まがい物からの侵害を防ぎ‘本物’の生産者の利益を守るとか、その生産に携わっている生産者、生産地の誇りを回復して地域の価値向上を図るとか等。

お国それと地域でこの活動に携わっている人の考えはご尤もで、その活動は大切です。

でもこれは本質的なことでしょうか?というのが私の論点です。

結論からはっきり申し上げます。

これは間違ってはいないけど、不十分で、その不十分な部分はとても大切な部分だということです。

ではその不十分な部分は何なのか?

これがこの活動を推進しているお国の考えと‘地域の生産者の本音’との間に横たわる隔たりの部分なのです。生産者の本音とは‘悲鳴’とも‘苦しみ’という言葉に置き換えても良いほど重大な点を含んでいます。

それは『せっかく認定頂いたけど、販売増に結び付かず豊かにならない』ということです。

元からブランド力のある産品は当然売れています。ところで新たに地域ブランドとして認定されたことによって販売増に結びついた例がどれだけあるのでしょうか?

新たにこれこれしかじかの産品が地域ブランドに認定されたという事実は良くマスコミで取り上げられます。でもそれによってどうなったのか、東京の消費者に影響を与えたのか、どうもそのあたりの数字を含めた事後報告は余り耳にしません。私は東京で生活していますが、こちらでは明らかに地域ブランド認定商品より、宮崎県知事のロゴシール付き商品が爆発的に売れている話の方が有名です。何故そうなるかもブランド論として面白いテーマですがこれは別の機会に譲ります。

さて、それでは売れるようにするためにはどうするのか?

きちんとした販売ネットワークを持つことです。つまり商品を流通・販売させる仕組みです。卸、物流、店舗です。それが有って初めて横文字のマーケティングが成り立つのです。地域ブランド品の場合であれば、ブランドマーケティングと称するものです。通常のマーケティングに加えてブランドを維持拡張させる手法を加味した世界です。これも説明すると長いので別の機会に譲ります。

地域ブランド論には本質的なことが欠落していると冒頭で書きましたが、その欠落しているものは‘販売ネットワーク’と定義しても良いでしょう。

但し、この販売ネットワークですが、大変曲者(くせもの)です。何故ならこのネットワークの価値観と地域ブランド作りに携わっている地域及び行政の方の価値観とは大抵一致しないからです。

販売ネットワークは利潤が追求出来るかどうか、という唯一絶対の資本主義の原理だけで動きます。つまり、このネットワークに携わる全ての人に冨をもたらさねば稼動しないのです。またその冨の源泉は最終消費者の財布の中にあります。消費者は‘良いか悪いか’で購買するのではなく、‘欲しいか欲しくないか’という基準で消費するので、彼らからお金を頂戴するのは至難の業です。

ところで、このように説明する私は、地域ブランド化された産品が販売ネットワークに乗れないものだと申し上げているのではないことをご理解下さい。

地域ブランド化された産品と販売ネットワークを上手く結びつける為には、地域ブランド作りよりもっと大変な知恵と努力が必要で、それさえクリア出来ればこの販売ネットワークに乗れる可能性があると信じております。

しかし、それは地域ブランド作りを牽引している行政の方に頼ることは出来ません。そもそも売れるかどうかに責任をお取りになる立場ではないからです。

地域ブランド作りには多大なコストが掛かります。コストには金銭的なコストと労働コストがあります。お国が面倒を見るのは金銭的なコストですが、そこの部分は税金によって賄われているので地域側として回収義務はありません。一方、後者の労働コストですが、どうも金銭コストの方が分かりやすいのか、このコストをはじくことを忘れて、それを回収しようとする姿勢が地域には欠落しがちです。つまり、‘地域ブランド作りのために国、県なりから金を頂いたが売れなかった、でも結局自分のお金で作ったのではないので損はしていない’と考えがちだということです。

でもそれは大きな間違いです。営業時間内で一秒でも生産的に働く、あるいは働かないという行為でプラスなりマイナスのコストが発生しているのです。地域ブランド作りのためにどれだけ貴重な時間を費やしたのか、それを元に金額に置き換えてみれば分かります。地域の方は相当数会議に出席されましたね。それは多大な金銭的コストなのです。それを回収し、且つ、地域の将来に亘る期待値分を回収してこそ、金銭的コストの原資である税金とその税金を払った人たちのコストに報いるものだということを認識しなければいけません。

であればこそ、地域ブランドに認定された商品を生産している方々がより積極的に販売ネットワーク構築に責任を負わなければいけないのです。上述しましたが行政頼りでは出来ません。もし自力で出来ない場合は、出来るパートナーを探すことです。地域ブランドの本質的な意味を理解し、地域に金が回る販売ネットワークを一緒に作れるパートナーを見つけることです。最も効率的なのは地域ブランド作りに販売ネットワークを持つ企業を参画させることでしょう。それも単なる中立的なオブザーバーではなく共同事業者としてです。

何れにせよ地域ブランド作りに直接的に携わる地域の方が知恵と汗を惜しまず、主導権を握って地域ブランド作りの全体構想を作り上げなければいけません。

色々な事を書かせて頂きましたが、要は『売れなければ』意味がないという冷厳な事実に立脚して地域ブランド作りをすべきだと云うのが私の主張です。

このようなことを申し上げると『儲けることばかり考えると、良い食文化とか地域の姿(地域ブランド)は守れないのでは』という声が聞こえてきそうです。

営利主義を否定し文化至上主義を唱える人たちの声です。営利主義に振り回されトラウマ(心の傷跡)を持つ地域の方、あるいは言葉だけで生活できる評論家の声です。

但し、私の主張は何も『営利』対『文化』という二項対立図式にありません。文化というものは維持コストが掛かるので良い文化は儲けの仕組みが構築されていなければ成立しないというものです。京都の雅やかな文化は日本のみならず世界の観光客がお金を落とすことにより守られているのです。落とさせる仕組みそのものが文化力ともいえます。

地域ブランドもそうです。地域ブランドに認定されたという事実は客観的に良い品ということです。であればこそ責任を持って儲けの仕組みを作らねばならないということです。

地域ブランド作りは良いことです。

しかし、その本質的意義を理解しないでいると数年経って、‘結局あれって何だったっけ?’で終わってしまうのを大変危惧しております。
執筆者

未知倶楽部室 室長 賦勺尚樹

ページTOP