三浦貞夫「木曽の山々原画展」初日を終えて…
2007年06月05日
開催の経緯
長野県木曽郡南木曾町田立在住の三浦さんは、平成4年に作業中の事故で頸椎を損傷し、首から下が殆ど麻痺。 それまで絵の経験は有りませんでしたが、3年近く入院生活を送るなか、リハビリのため取り組んだ画作に開眼し生きる喜びに...。兄や友人らが撮影し届けてくれた写真を見て、かつて自分の家の庭のように歩き廻っていた木曽の山々を思い浮かべながら絵筆を運んだ作 品を集めて本を出版されました。
当地域には、新聞販売店が出資して運営している「恵峰ホームセンター」という会社があり、その会社が第一、第三土曜日の月2回、発行している新聞折り込みにいれるフリーペーパー「恵峰ホームニュース」の記者の方が取材を通じて以前より三浦さんと親交があり、三浦さんの自宅からも近い、私共の施設で展示会が開催出来ないかと相談がありました。
長野県木曽郡南木曾町田立は車で5分程度で行ける場所、生活圏は岐阜県中津川市坂下です。
三浦さんのリハビリで通院してる病院も国保坂下病院でいわば地元の方です。
まして、展示会というイベントは私共にとって願ってもない話題であり、即承諾しました。
展示会の準備
展示会場は、当施設の2階です。
しかし、絵画を展示するには壁やパーテーションも無くそこからの準備でした。
丁度、中津川市教育委員会に展示用のパーテーションがある事を知り、それを借受ける為に、後援依頼し、承諾して頂きました。
準備は、都合上、展示会の2日前、地域の新聞販売店の店主の方数人と三浦さんの奥様、記者と私、総勢8名で行いました。
会場は2階、作業用の小さなエレベーターしか無く、パーテーションは乗らない為、1枚1枚階段で運び入れました。 ある程度のレイアウトを考え、パーテーションを組立、さぁ絵を架けようとした時に「フック」が無い事に気付き、教育委員会に連絡をとるも、いろいろな先に貸し出しているうちに紛失してしまい無いとの事。
仕方なく、それに合った太さの針金を購入し、自分たちで作る事にした。
「こんな作業は学生時代の学芸会の時以来だ」なんて、懐かしみなが、和気あいあいとした雰囲気で作業をすすめました。
こうして、何とか素人ながらに展示の準備は終了しました。
展示会前日
ところが、あまりにも不格好で、せっかくの三浦さんの絵を台無しにしてしまい兼ねないので再検討をして、施設内に代用出来るものはないかと探し廻りました。
そうしたところ、当施設のオープン当時に使用した負の遺産が沢山出て来ました。
その中に、看板の代用を出来るものを発見、塗装を塗り替え、坂下総合事務所に協力して頂き、カッティングシートに字を印刷し、その間事務の手を止めて頂き坂下総合事務所の方にも手伝って頂きました。
こうして、多くの皆様のご協力により展示会当日を迎える事が出来ました。
展示会初日
会場前には、三浦さんの奥様が殺風景な会場にアジサイの鉢植え等の花を届けて頂き、飾り付けを行いました。当日、この展示会がフリーペーパー、新聞記事に掲載された事もあり、多く皆様に来場して頂きました。
三浦さんご本人も、次の日に予定している上原真吾さんのギター演奏会には来られるとの事で、本日は来られる予定がありませんでしたが、ご本人の希望により看板の前で写真撮影をしたとの思いからわざわざ来て頂きました。
初日を終えて…
軽い気持ちで「いいですよ」なんて請け負ってしまた私自身恥ずかしく思えました。
そして、何より三浦さんの絵の素晴らしさ、苦しいリハビリを乗り越え、力強いタッチであるが優しさを感じる絵、本当に多く方に見て頂きたい感動の絵画展です。
執筆者
道の駅きりら坂下 支配人 三尾弘成